INTERVIEW 「J」からのスタート 〜2005年のルーキーたち〜
第1回 内藤友康 (日大藤沢高校・3年/GK)

高校3年間、その勇士を「全国の舞台」でこそ見せることはなかったが、安定感抜群のゴールキーピングは、まさに「神奈川高校No.1守護神」の名にふさわしい。中学時代(横浜FMJY追浜)は、飯倉大樹とポジションを争い、「第2のGK」として過ごすも、その才能は高校進学後まもなく開花。「大舞台になるほど高い集中力を発揮する」と語る仲井真弘毅監督(日大藤沢高)の言葉からは、教え子に対する期待の大きさ以上に、未知なる可能性を予感させる。

(取材・構成=KFA news編集部)






●――サッカーの原点は、地元「ヨコスカ」

 「サッカーをはじめたのは、小学2年生の終わりころ。ポジションは、最初からゴールキーパーでした。 地元(横須賀市)の佐野ベアーズというチームに入ったばかりのとき、まだユニフォームを持っていなくて、『じゃぁ、キーパーやれよ!』と言われたのがきっかけです(笑)。身長は、当時から大きかったですね。クラスでも、(背の順で)後ろから1番目か2番目だったと思います。
 中学時代(横浜FMJY追浜※1)は、ずっと『ベンチ』。出番は……『PK戦』のときなので、試合終了の30秒くらい前でした」
※1 2001年(3年生)のときには、第12回全日本ユース(U-15)選手権で優勝しているが、当時のレギュラーGKは飯倉(現・横浜FMY)。

 「(「PKストッパー」のはじまりは)小学6年生(横須賀市選抜)のときに出場した藤枝JC杯で、1試合3本のPKを止めたことがありました。そのときから『PKは負ける気がしない』みたいな感じで、自信を持つようになりました。公式戦での『読み』はよく当たりますね。この前(全国高校選手権・神奈川予選)は当たらなかったですけど(苦笑)」



グランパス入団の決意と抱負―

 「(入団が内定したときは)うれしかったですね!(笑) プロ入りは意識していましたが、まさか本当に行けるとは思っていなかったので。もちろん、チームにはA代表の楢崎(正剛)さんと、オリンピック代表候補の川島(永嗣)さんがいますから、そんなに簡単には試合に出られないかもしれない。それでも、2人のプレーをよく見ることによって多くを学び、いっしょにトレーニングするなかで成長できればいいと思っています。まずは、短い時間でも試合に出ることが目標です。
 好きな海外の選手は、ブッフォン(GK・イタリア代表=ユベントス所属)。自分自身は、前に飛び出していくようなタイプのGKではないので、どれだけ構えてシュートを止める ことができるかが今後の課題になると思います。グランパスの練習に参加させて頂いたとき(2004年7月下旬)には、GKコーチの方から『正面は強い』、『これからの成長が楽しみ』と評価して頂きました。
 これからは不安じゃないと言ったら嘘になると思いますが、プロとして生活する以上は、一日一日うまくなれるように努力したい。自分がどれだけうまくなれるかとい う期待もあります。ライバルは、『飯倉(大樹)』(横浜F・マリノス)です」