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第23号(平成14年8月20日) | |
■『11年目のホイッスル』 |
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2002年6月1日、新潟スタジアム。記念すべき国内開幕戦となるアイルランド×カメルーンの笛を吹いたのは、国際主審の上川徹さん(39)=海老名市在住。日本代表の初戦が行われる3日前に、もう一人の「日本代表」としてW杯・デビューを果たしていた。 ご存知の方も多いだろうが、上川さんは元サッカー選手。学生時代には日本ユース代表も経験し、大学卒業後はフジタ工業(現・湘南ベルマーレ)のFWとして、日本リーグなどで活躍している。 転機が訪れたのは、引退を決意した28歳のとき。1991年にJリーグが募集を開始した「審判養成コース」に上川さんは応募した。 「これからもサッカーと関わりたい」。選手時代と変わらぬ強い意志は、ユニフォームを脱いだ後も、ピッチから離れようとはしなかった。 上級審判を目指すため、高校生の試合にはじまり、J2、J1へと続く高い階段を確実に昇っていく。98年からは、国際主審として活躍の場を世界にも求めるようになった。そして、今年1月8日、上川審判員は晴れてW杯主審に選出された。 「第2の人生」のスタートから、わずか11年後の快挙だった。 上川さんは、今年3月よりスペシャルレフリー(SR)として、日本サッカー協会に籍を置いているが、2年前まではベルマーレの職員。サポーターズクラブ事務局長を務るなど、引退後も多くのサポーターから慕われつづける一方、審判員としての実績も確実に積み重ねていった。 国際審判員というからには、毎日のランニングやジムでのトレーニングに加えて、週2時間の英会話の勉強も必須だ。審判相互のコミュニケーションを円滑にするのはもちろん、FIFA主催の審判セミナーでも英語が理解できなければ話にならない。 一級審判員の定年は50歳だが、国際主審の定年は四十五歳。大会期間中に39歳になった上川さんには、4年後のドイツ大会が待っている。今回は、主審を務めたのは一試合だが、ほかにも第四の審判員とし て3試合の指名を受けている。日本代表につづき、決勝トーナメントで笛を吹く願いは叶わなかったが、夢はたしかに広がった。 「もう1試合、笛を吹くからね」。2男1女のパパでもある上川さんは、「働くパパ」の頼もしい姿が4年後のピッチにもあることを約束してくれたに違いない。 |
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