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第23号(平成14年8月20日) | |
■2002ワールドカップ報告 |
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一生に一度の世紀の祭典を開催する地元協会の責任者として身の引き締まる思いで迎えた「ワールドカップ(以下、W杯と略)」の1ヶ月があっと言う間に過ぎてしまった。ましてや「決勝戦開催」と言う「横浜ベニュー」の苦労話を挙げれば切りはないが、ここでは何はともあれ「何事もなく無事終了」してホッとしているのが本心である。 先ず大会に向けて「横浜ベニュー」の組織図は「JAWOC横浜支部」と「横浜市の横浜開催推進委員会」の2つの組織がこの大会を分担して関わる事になった。 1)JAWOC横浜市部(開催地組織委員会)は競技場エリア内の仕事を主に携わり、支部長の下に(競技部)がありそこにサッカー協会からメンバーを派遣して競技運営に関する仕事を受け持つ事になった。練習会場・キャンプ地・チームインスぺクション対応(事前打ちあわせ)・チームワークショップ(代表者会議)・リハーサル大会・ボランティア・・・本大会等々、まだまだ沢山の仕事を抱え忙しく動いて来た。その他に、(総務)(事業)(警備)(宿泊・輸送)どの部署もそれは想像を絶する仕事の量であった。 2) 横浜開催推進委員会(地元自治体実行委員会)は競技場エリア外の仕事に携わり(広報)(イベント)(観光)の専門部会が歓迎のための諸準備、市民へPRの為の諸々のイベント(100日前・50日前)、国内外からの観戦客等の受け入れ対応、街頭装飾、開催時の案内所、その他メディア対応、市民向け広報、こちらも膨大な仕事の量であった。それぞれ どこのパートも重要な仕事であるが今回は(警備パート)が特に注目される大会になってしまった。それだけ国際的に注目された「フーリガン」「テロ」対策は想像を絶する準備をしたが、幸いに何事もなく本当に良かったと思う。 さて私はそれぞれのパート会議に「参与」と言う立場で出席してサッカー協会の立場で指導助言をしてきたが、とにかく規模の大きな大会で今まで経験した「国体」「全国大会」のレベルでは考えられない事が多く、自分の意識改革が一番大事な事だと痛感した。特に横文字とカタカナで戸惑う事が多かった。その中の幾つかを挙げると「カーテンレザーマッチ」(前座試合)「チームエスコート」(選手係)「べニュー」(開催地)「ファイナルドロー」(本選抽選会)…等々年寄りにはついて行くのが大変であった。 W杯を日本で開催出来た事はこれで全てが終わりでなく、次につながるようにしなければならない。勿論選手の技術的な事は当然の事であるが、日本人がより国際的になると言う事、即ちW杯を開催する事によって日本が本当にインターナショナルの仲間入りが出来ると言う事が一番大事な事ではないだろうか。1998年フランス・ツウルーズでの日本対アルゼンチン戦で多くの仲間と涙して歌った「君が代」は感動的であったが、今回は4回も大声で「国歌」を歌えた事に心から感謝したいと思った。中でも6月9日対ロシア戦、1-0の勝利を地元横浜で、沢山のお客様と共に抱き合って喜び握手攻めにあった感動は一生忘れない思い出となるだろう。そして本当に世界への仲間入りが出来たのか確認しながら次に向かって努力しなければならないと思っている。 |