広報委員会TOP | KANAGAWA Soccer News | 観戦ノート |
第23号(平成14年8月20日) | |
■興奮のワールドカップ観戦記 |
|
![]() |
|
2002年のW杯が幕を開けた。 韓国と日本で行われるアジアで初の開催、史上初の2国共同開催。こんなにも身近な状況でW杯を体験できることは、一生の内に一度しかない。 そして、僕は大好きなポルトガルが韓国でグループリーグを戦うので、6月5日から9日までの5日間の予定で、チケットを手配し韓国へと飛ぶことを決定した。 出発日の早朝、千葉の成田空港のロビーは韓国へ向かう多くのサポーターの姿でいっぱいだった。日本代表の青いユニフォームを着ているカップル。顔に国旗とサッカーボールのペインティングをしている気の早い男の子。それに、今日試合のあるポルトガル代表選手の7番フィーゴと入ったレプリカを着ている人が特に多い。そして港内の外貨交換所でウォンに交換する行列を目の当たりにして、韓日のW杯が始まったことを再確認した。 2時間半程で韓国の仁川国際空港に到着すると、W杯が開幕した事を、大きな歓迎の垂れ幕や、W杯のオフィシャルマークが至る所にあり更に実感させる。 そして、空港内のインフォメーションでは沢山のボランティアの方が待機されていて、英語、日本語、中国語と書かれた自分が会話可能な言語を表す札を胸に掛け、質問に訪れる人々を笑顔で対応していた。移動したソウル市内でも人の集まる場所では、空港と同じインフォメーションが設置され丁寧な対応で僕らを助けてくれる。 韓国でのW杯を楽しくさせてくれたのは、熱狂した試合とは別に、こうしたボランティアの方々や、各地で出会った沢山のサポーターや警備員の人、屋台のおばちゃんとの触れ合いだった。 ソウルではこんな事があった。空港からソウル市内のホテルに移動する際に迷子になった。初めての韓国で、見慣れないハングル文字ばかりで不安になりながら、日本から持ってきたガイドブックを開いて辺りを見回している時だった。突然、グレーのスーツを着た女性が日本語で「何か困っていますか?」と声をかけてきてくれた。状況とホテルの名前を伝えると、「日本語は少ししか出来きません」と言いながら、ゆっくりと丁寧な日本語でホテルまでの道を説明してくれた。 スオンでもホテルの場所が分からず迷子になり、商店街の薬局屋に飛びこんで店主に道を尋ねた。すると、すぐにホテルに電話を入れて場所を聞いてくれる。更に、ホテルの近くで場所を訪ねた中年の警備員などは、日本語も英語も話せないが、身振り手振りを交えながら一生懸命に説明してくれる。それでもこちらが理解できないと感じると、警備していた持ち場を離れ、数十メートル先のホテルの目の前まで案内してくれた。 チョンジュ駅前のインフォメーションでも、ボランティアの方に助けられた。英語で声をかけてきた学生ボランティアの青年は僕が予約していたホテルのフロントまで案内してくれ、フロントとのやり取りまで代行してくれた。同日、試合を見終わった僕は夕飯に美味しいビビンバを食べたいと思い、情報を得ようとインフォメーションを利用した。すると、今度はメガネを掛けた小さな女性が近くに有名なお店があり、歩いても数分だからと彼女は店まで一緒に歩いて案内をし、「ここのビビンバブは本当に美味しいよ」と言って去っていった。 チョンジュは韓国でも特に田舎で地元の人の温かさが都会以上と言われている。それを差し引いても、想像以上の親切な持てなしを受けたと感じた。 韓国は儒教の国で「お持てなし」の心を大切にする。そしてそれは受け入れがたい歴史を持つ日本人の僕らに対しても分け隔てなく接するのである。 ともすれば日本では、過剰と思えるほどの親切には時に不信感すら感じる事がある。しかし、韓国ではごく自然に普段の生活の一部として「お持てなし」が行われている。だからこそ僕は、彼らの行為を素直に受け入れられたのかもしれない。 そして、この様な韓国での思い出を胸に帰国したある晩。家でTV中継を見ていると、元日本代表監督がこの様なコメントをした。 「4年前に韓日共催の事を聞いたときは、共催ではなくて、粉砕だと思った。」「しかし、何度も韓国と日本を行き帰りした今は、心から韓国を応援できる。」「共催して良かったと思う。」 この時の彼の言葉に素直に共感できた。それは韓国での出来事があったからかもしれない。 2002年韓日W杯は僕に沢山の宝物を与えてくれた。韓国で見た試合も、TVで見ることになった試合も全てが楽しかった。もちろん日本の躍進も素晴らしかった。しかし一番の宝物は、この大会期間中に出会った多くの人々の「お持てなしの心」に気付いた事だったと言えるのではないだろうか。 (平塚市T・I) |
|