INTERVIEW 「J」からのスタート 〜2005年のルーキーたち〜
第3回 飯倉大樹 (横浜F・マリノスユース/GK)

ゴールキーパーに転身してわずか6年―その間、2度の日本一を経験。持ち前のバランス感覚に裏付けされた鋭い飛び出しと、勇気あふれるコーチングでディフェンスラインを統率する。 高精度のフィードキックは、そのまま攻撃の起点となる。「死ぬ気で頑張らないと厳しい世界。だからこそ期待も大きい」 とエールを送る高橋監督(横浜FMユース)。新たな決意を胸に、国体での負傷を乗り越え、走り込みを中心に別メニューでトレーニングをつづけていた彼に聞いた。

(取材・構成=KFA news編集部)






●――柳楽コーチとの出会い、「GK」への転身

 「サッカーをはじめたのは、小学1年生の終わり頃だったと思います。最初のポジションはフォワード。他にはハーフをやったり、プライマリー(マリノスの小学生チーム)ではボランチでプレーしていました。
 ゴールキーパーに転向したのは、中学1年生からです。その前年、ちょうどプライマリーの練習に来ていたGKコーチの柳楽(雅幸)コーチから、指導を受けたことがきっかけでした。その後、プライマリーからジュニアユースに上がるときに、『ゴールキーパー(を選ぶ)か、フィールドプレーヤー(で続ける)か』という話をコーチから聞いて、最終的には自分で決めました」

★ 第1回インタビューに登場の内藤友康選手(名古屋グランパス)とは、中学時代のチームメイトであり、ポジションも同じGK。2001年(中学3年時)には、2人の活躍もあって、第12回全日本ユース(U-15)選手権を制覇。その2年後(高校2年時)にも、それぞれ神奈川県選抜の一員として第58回国民体育大会(※ 予選本選)に出場し、2度目の日本一を達成している。
 (※ 関東予選の正GKは、内藤。彼の活躍で群馬県選抜にPK戦勝ちするも、本大会は負傷により欠場。その代わりにメンバー登録された飯倉が本大会では正GKを務めた。決勝戦で群馬県選抜のPKを止めるなど、全試合にフル出場して、失点はわずかに「1」)
  この春から、ともにJリーガーの仲間入りを果たした2人の守護神。「ライバルは飯倉」 内藤選手からのメッセージを届けると、厳しいトレーニング終えた直後にも頬は緩む。

 「当時(ジュニアユース時代)、たまたま試合に出ていたのは僕でしたが、実際には『互角』と言うか、本当に『良きライバル』という関係でしたね。たしかに中学生のときは、僕自身はPKがあまり得意ではなく、逆に内藤がよく止めていたので、『勝負時』が来たときには、お互いに助け合いながら、いっしょに頑張っていました(笑) 」



実績は関係ない。大切なのは「これから」

 「(トップ昇格が決まって)アマチュアからプロの世界に行けるということで、うれしかったですね。まだスタートラインに立ったばかりなので、 これから自分で積み重ねていかなければならないものがあることを自覚しています。今までやってきたことは関係なく、すべては『これから』だという気持ちの方が強い。まずは、身体作りから取り組んでいきたいと思います。
 GKは、いろいろな『部分』が求められるポジションなので、シュートストップに関しては、カシージャス(GK・スペイン代表=レアル・マドリード所属)が目標。その他の フィールド系 バックパスの対応、裏への飛び出し(カバーリング)に関しては、やっぱりそれが自分の持ち味であり、他のGKよりも優れているポイントだと思っています。自分の長所をもっと磨いていけるように頑張りたいです」